rirasoujiken’s blog

このブログは、鬱病(離人症、乖離。自立支援、手帳3級)である管理人が主にミステリーの読書感想文をアップします。何卒、ご笑覧下さいm(_ _)m

「優しい」ということ

私は、他人からよく「優しい」と言われる。

実際のところ、別に私は「優しい」訳でもなんでもない。

単に「気の小さい」「他人に嫌われたくない」だけの人間である。

そもそも、私の思っている「優しい」と他の人が思っている「優しい」との間には齟齬が生じており、それが「優しい」と言われることに違和感を感じる一因となっていると解釈している。

ある友人からは、「もっと素直に受け取れば良いのに」とアドバイスを貰ったことも多々あるが、それが出来ないから常に違和感を感じているのだ。

私が想い描く「優しい」とは、時には耳の痛い苦言を呈することも含まれており(勿論、それだけではないが)そう言った意味で私を「優しい」と評されているとは決して思わないので、困惑してしまうのである。

恐らく、私を「優しい」と評する人の殆ど全てが、そうは思っていないと考えている。

私は30年程前から「鬱病」を患っており(それを「鬱病」と診断されるまで様々な病名を疑われていたことは、記すると長くなるので敢えて触れないが)、自立支援医療精神障害者手帳(3級)を所持している。昨年末に鬱病が悪化し「離人症」と「乖離」を繰り返し入院することになった。無事退院出来たのだが、何が原因で悪化したのかがハッキリしない(主治医からは恐らくストレスが原因だろうと告げられたが)ので、未だに何時悪化するか自分でも解らないまま不安な日常を過ごしている。

そう言った側面も含めて「「優しい」とは何か?」といった疑問を常に自分に問いかけているのが現状であるので、まだまだ明快な回答は、自分にも解っていない有り様であり、今後も考え続ける命題だと思っている。