rirasoujiken’s blog

このブログは、鬱病(離人症、乖離。自立支援、手帳3級)である管理人が主にミステリーの読書感想文をアップします。何卒、ご笑覧下さいm(_ _)m

読了しました。

『殺人の門』

東野圭吾

解説・北上次郎

角川書店

本書は2003年8月、小社より刊行された単行本を文庫化したものです。

平成18年6月25日  初版発行

令和5 年3月5日  50版発行

 


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「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。悪魔の如きあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。そして数多くの人間が不幸になった。あいつだけは生かしておいてはならない。でも、私には殺すことができないのだ。殺人者になりために、私に欠けているものはいったい何なのだろうか?人が人を殺すという行為はいかなることなのか。直木賞作家が描く、「憎悪」と「殺意」の一大叙事詩

 

本書の主人公は、歯医者の息子だった田島和幸である。基本、彼の一人称視点で描かれている。田島が「倉持修」と初めて出会ったのは、小学生の頃だった。

倉持に出会ってからの和幸は、ずっと人生を狂わされてきた。ある時、和幸は倉持を殺したいと思った。けれど、いざその時になると「殺意」が有耶無耶にされてしまう。それの繰り返しが延々と続く。言わば、本書は田島和幸の人生そのものを描いた一大叙事詩である。

 

本書で印象に残った台詞がある。その部分を抜粋してみる。

 

「田島さん、動機さえあれば殺人が起きるというわけではないんですよ」刑事が諭すような口調でいった。「動機も必要ですが、環境、タイミング、その場の気分、それらが複雑に絡み合って人は人を殺すんです」

 

「さらに」刑事は続けた。「何らかの引き金によって行動する者もいる。あなたの場合、何らかの引き金が必要なのかもしれませんね。それがないかぎり、殺人者となる門をくぐることはできないというわけです。いや、もちろん、そのほうがいいのですがね。そんな門は永久にくぐらないほうがいい」

 

〇〇〇〇〇〇〇

 

「私が彼に教えたのは単純です。成功するには捨て石が必要だ、ということだけです」

「もちろんこの場合の捨て石とは、人のことを指します。しかし単に人を利用するという意味ではありません。人間誰しも勝負をかけなきゃいけない時がある。場合によっては命がけということもあるでしょう。そんな場合に捨て石を使えるのと使えないのとでは、勝負の結果に雲泥の差がある。また捨て石は、時に危険から身を救ってくれる防波堤にもなりうる。捨て石にふさわしい人材を常に用意しておくべきだ__私は彼にそう教えたのてす。捨て石に最も必要なことは、自分が信用できる人間であることだ、ともね」

 

田島和幸は、それにより自分が倉持にとっての捨て石であることを確信した。

彼は、「殺人の門」をくぐることができたのか?

それは読んでのお楽しみである。